皆さんこんにちは!!
フジアルテに勤務している東野 大輔(ひがしの だいすけ)です。
私は現在、南大阪営業所で事業所長を務めています。
今回は、私が今の役職に昇りつめるまでに行ってきたことや、意識していることについてお伝えします。
ぜひ、皆さんの今後に役立ててください。
【アパレルから派遣へ】
私は高校を卒業後、アパレルの小売店に入社しました。
約4年間、店頭に立って販売や接客業務をしていましたが、ビル内の店入れ替えによる閉店に伴い、退職する流れになったのです。
そのお店の責任者の方から、「また店舗を出す時に声をかける」とは言ってもらえましたが、それがいつになるのかはわかりませんでした。
また声をかけてもらうまでの間、生活するためのお金を稼がなければならなかったため、次の仕事を探したのです。
これが私とフジアルテの出会いでした。
高い時給などが当時の私にとって魅力的だったため、派遣スタッフとしてフジアルテに応募しました。
しかし、私は派遣というシステム自体よくわからずに応募してしまったのです。
「派遣」という仕事の具体的なイメージすらできずに、仕事が始まりました。
今なら笑い話にできますが、当時は苦労が尽きなかったことを覚えています。
初めて配属された工場では、様々な派遣会社から多数混在で色々な人がきており、アパレルで鍛えられたはずの対人面での苦労もありました。
【やってみなければ何事もわからない】
派遣として仕事をこなしていくうちに、自分が就いている仕事への理解が深まりました。
それによって、仕事により集中できるようになったのは大きかったです。
気がついたら、派遣社員の代表格的な存在になっていました。
運が良い事に、「しっかり働いてくれる派遣社員を正社員に引き上げよう」という動きが会社内で広まってきており、当時の工場の管理者から誘って頂けたのです。
その結果、私はフジアルテの社員へ登用してもらえました。
自分だけでなく、他の派遣スタッフなどと一緒に社員登用をしてもらえたのは嬉しかったです。
私が現在、事業所長として勤務している工場でも、派遣スタッフさんは様々な理由で退職され、入れ替わりも頻繁です。
一緒に働いていた人と働けなくなってしまうのは悲しいですが、その方々から「ここで働けて良かった」などの言葉をかけてもらえるのは嬉しいですし、やりがいでもあります。
あの時代を経験してなければ、それらがやりがいになることは無かったでしょう。
勿論、嬉しい事ばかりだけではなかったです。
現在の職場へは管理者となる前提で異動しましたが、約3ヶ月間は作業者として従事しました。
その後、管理業務などをするようになりましたが、わからないことの方が多かったです。
指導を受けた時もありましたが簡潔なもので、自分で何から手を付けていくべきかを考えなくてはなりませんでした。
そこで私は、従業員と工程の話ができるようにするため、全工程の作業を一通り行ったのです。
実際に体験しなければわからないことも多く、わからないで指示してしまっていたことを深く反省しました。
【フジアルテを通じた成長】
私がフジアルテの良い所を挙げるとしたら、社内研修が一番です。
ここでは様々な研修を受けられる機会が設けられていて、仕事に勤めているだけでは学べないことをたくさん身に付けることができました。
1つの事業所を管理する事業所長として必要な経営者感覚を学んだり、意見や情報を交換して、横の繋がりを増やしたりできたのです。
勤続14年となりますが、まだまだ学ぶことはたくさんあります。
また、管理者として行わなければならないことも増えてきました。
自分の工場は請負職場であるため、年々お客様からのニーズが高度なものになってきています。
そのニーズに応えるためにも、チームワークが大切です。
各工程のリーダーがそれぞれ役割を果たせるようになり、工程間を越えてカバーしあえる関係性を築いていけたら良いですね。
そのためにも、言葉遣いを部下たちに指導していきたいと思っています。
自分にとっては何気ない言葉も、人によっては気分を悪くしてしまうことも珍しくはありません。
相手に誤解を与えないような言葉の使い方や言い回しをする重要性を伝えていきます。
言葉一つで大きなトラブルに発展してしまうこともあるので、自分でも気を付けていきたいです。
いかがでしたか?
今回は、皆さんと一緒に私がフジアルテで歩んできた道を振り返りました。
これから私は営業所で行う業務を学び、業務の幅を広げ、次のステージへキャリアアップしていく予定です。
自分の下に就いている、リーダーとして働いているメンバーも育成し、フジアルテを成長させていきます。
これからも私の活躍に期待していください!!